は
ひ
被官
もともとは管轄される者の意。
鎌倉時代以後,広く主従関係の従者をあらわす用語として使われるようになった。被官の主人は武士をはじめ貴族,寺僧,神官,官人,女房等さまざまな階層に及び,被官も武士,法師,商人,百姓等さまざまである。
ふ
福原遷都(ふくはらせんと)
1180年6月平清盛が京都から摂津の福原(神戸市兵庫区・中央区付近)に都を移したこと。
源頼政の挙兵などによる政情不安や寺院勢力の圧迫を避けるために行ったが,都城造営も進まぬうち11月再び京都に都を戻した
へ
偏諱(へんき)
貴人などの二字以上の名の中の一時。また、その一字を忌(い)み避けること
ほ
北勢四十八家(ほくせいしじゅうはちけ)
伊勢国北部の北伊勢地域(特に三重県四日市市の周辺の北勢地域)に勢力をもった小規模の城主・豪族の集合体の呼称である。全部で53の家系があり、48家より5家多い。途中で戦国時代の乱世による城主の興亡での城主の入替や、同名の家柄の別家系があり、正確な北勢四十八家は不明である
堀越公方(ほりこしくぼう)
伊豆堀越にあった室町幕府の東国支配機関。また、その長である足利政知の称。
鎌倉公方足利成氏が幕府に背いて下総の古河に移ったのち、将軍義政は弟政知を下向させたが鎌倉に入れず、ここにとどまって成氏に対抗した。延徳3年(1491)あとを継いだ子の茶々丸が北条早雲に攻められ滅亡。
